ボイスドラマ「縁(えにし)」 Lyrics
- Genre:Spoken Word
- Year of Release:2025
Lyrics
「いらっしゃいませ」
蝉時雨が降り注ぐ奥飛騨温泉郷の老舗旅館。
先週も言ったけど、これでも私は若女将だ。
アーリーチェックインのお客さまをお迎えしたあと、
私はポケットからお守りを取り出す。
それはおじいちゃんの写真が入った、おばあちゃんのお守り。
もともと包んであった古い紙に包み直そうとしたとき、
びっしりと書き込まれた文字が目に入った。
ところどころ破れかけて文字もかすれていたけど、
その紙は古いビラだった。
・ここに書かれた軍事施設を攻撃します
・すみやかに避難してください
・私たちの敵はあなた方ではありません
え?
これって・・・・空襲の予告?
空襲って・・・せ・ん・そ・う?
裏面をめくると、北は小樽から南は都城まで、12の都市の名前。
その中には『高山』の文字も!
高山も空襲されたってこと?
ひょっとしておばあちゃん、このビラも大切にとっていたの?
そのとき、厨房から最古参の板さんが顔を出した。
ビー29が爆弾の中に爆薬でなく、ビラをつめて落としたんだよ。
すぐに届けないと憲兵につかまって酷い目に合わされるからね。
え?でも、このビラ、間違ったこと書いてないけど・・・
それが戦争というものさ。
板さんの声が胸に響く。
78年前のおばあちゃんの思いが頭の中に蘇ってきた。
■シーン2/1945年〜温泉宿+蝉時雨
「いらっしゃいませ」
「あ・・・」
玄関に現れたのは、軍服を着た若い青年だった。
「あの・・・実は、いま温泉は休業中なんです」
彼は残念そうな顔で私を見つめる。
聞けば、なんと鹿児島から汽車を乗り継いでやってきたのだという。
ここは奥飛騨温泉郷の老舗旅館。
今日はたまたまお留守番の私がいたけれど、
戦時中のいまは、私だって学徒動員で毎日工場勤務だ。
木製の飛行機を作る工場で部品を作っている。
え?
私の幼馴染に御用なの?
ちょっと待ってね。工場にいるから呼んでくるわ。
さっき、爆弾じゃなくてビラが降ってきたって、ちょっとした騒ぎだったの・・・
あ、いけない!大きな声で言ったらダメなんだった。
彼は無口で、ただにっこりと微笑んだ。
彼を玄関に待たせ、私が幼馴染を連れて戻ってくると
2人は硬い握手を交わし、抱き合って喜んだ。
なんだ、知り合いだったのね。
え?
明日2人で出発する?
どこへ?
知覧?
それ、どこなの?
鹿児島!?
じゃあ、いつ帰ってくるの?
2人は顔を見合わせて、苦笑いをした。
ちょっとごまかさないで、教えてよ。
・・・特別攻撃隊?
なにそれ?難しいこ・と・ば・・・
ハッ!
とっ・・・こう?
うそ!そんなコト聞いてない!
しぃ〜、って、なに!?
大声出したっていいじゃない!
なんで!?なんでよ!
なんであなたたちが特攻いかなきゃいけないの!?
なきわめく私を、2人は優しくなだめながら、声をひそめてゆっくりと話してくれた。
心配しなくてもこんな戦争はもうすぐ終わる。
ぼくたちの行動を無駄にしないように、ちゃんと生きてほしい。
なに言ってるのかわかんないわ!
私、忙しいから!
え?なにするって?
決まってるじゃない!温泉、沸かしてくるのよ!!
こんなに体にいい温泉、入らずにいくなんておかしいじゃない!
振り返らずに釜へ向かう私を、彼らは止めなかった。
私は誰もいない釜場で火をつけながら号泣する。
やりきれない思いが、私の心を引き裂いていく。
2人の元へ戻ったとき、彼らは玄関の外に出ていた。
旅館の看板の前に三脚のようなものを立ててなにかの準備をしている。
狐につままれたような顔の私に、鹿児島の彼が、写真を撮ってほしい、と言った。
■シャッターの音
2人は肩を組み、思いっきり陽気な笑顔で写真に収まる。
でも私には、泣いているようにしか見えなかった。
■お湯の流れる音+虫の声
周りを竹で囲まれた露天風呂。
2人が湯船に入った頃には、もう日が暮れていた。
私は竹垣の外から、声をかける。
いいお湯でしょ。
明るい声で返事が帰ってくる。
今晩は2人で語り明かしたら?
なぜか、返事はなかった。
2人はゆったりと露天風呂を満喫して、玄関で待つ私のもとに戻ってきたのは
1時間以上もあとだった。
鹿児島の友達が私に声をかける。
君たち、許嫁なんだって?
え?
いや、まあ、親同士はそんな感じだけど・・・
じゃあ、今日祝言をあげなさい。
え?
僕が証人になろう。
え?だって・・・あなたは?
はは、僕はそのためにきたんだよ。
え〜?
奥手な彼に、大切なことを教えてあげなきゃいけないだろう。
そんな・・・
一度生まれた愛はね、命が尽きても消えることはないんだよ。
いざ、生きめやも。
そう言って彼は、私に小さなお守りを渡してくれた。
鹿児島から持ってきたというお守りには・・・『豊玉姫神社』?
・・・
翌日早く彼らは旅立っていった。
私には、未来永劫消えることのない絆と
かけがえのない愛の証を残して。
掛け流しの露天風呂に映る夕陽の赤は、彼らの魂の色だった。